犬の命日 | 本光寺住職のダラブログ

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これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」

 昨日は、父の14回目の祥月命日でした。今日(28日)は、親鸞聖人の今年初めてのご命日ということで、寺では午前中お参りがありました。また、くしくも今日は、我が家の愛犬、アコの初月忌でもあります。何と、畏れ多くもアコは親鸞聖人と全く同じ命日なのです。

 思い返せば、先月の27日の朝、アコの様子を見に行くと、亀のように腹ばいになっていて、もう立って歩けません。しかし、腹を地面につけていながらも「ウゥゥ…」といううめき声を出して、何とか動こうとしていますが、その意思が手足には伝わっていないようです。そして、あれほど食いちぶ(大食い)だったのに、もはや餌も食べなくなりました。この時、私にもアコの死期が近いことを感じました。
 女房もアコの姿を見るや否や「こりゃ、駄目や」と咄嗟につぶやいたと思ったら、「アコちゃん!」と叫んで泣き出しました。すると、女房は直ぐに新しい毛布を出して来て小屋の中に敷き、アコをその毛布で包むようにしてやっています。「この毛布におりや。暖かいやろ。ここでウンコもおしっこもして、汚していいよ。アコちゃん、ありがとう、ありがとうね」と、泣きながらアコの体中をさすってやっておりました。

 その日の晩、私はある会の忘年会で温泉旅館に居りましたが、内心アコのことがずっと気掛かりでいました。夜9時過ぎだったでしょうか、「まだですか。アコが心配、早くハヤク帰って」と、女房から携帯にメールが入り、急いで帰りました。そして、あくる日の明け方、到頭死んでしまいました。
 
 それから、私たち家族は、たかが一匹の犬が死んだことで、皆で一日中泣き明かしました。女房に「何故に、アコのことでこんなに涙が出てくるんだろうね」と言うと、女房は平然と、然も冷たく「そりゃ~、私らに何一つ文句言わんからやわいね」と言い放ちました。成る程、その通りです。文句を言ったり、逆らったりされれば、わが子でも憎らしくなりますもんね。思うようになれば可愛いし、思うようにならねば可愛くないものですよね。
ケンとアコ
 28日の午前、本堂の隅っこに阿弥陀さまに向けてアコの亡骸を安置して、親鸞聖人
のご命日のお参りをしました。参詣された人たちも、お参りが終わるとアコの側まで来られて、顔を覗き込み、何本もの手を伸ばしてアコの体をさすりながら「そうか、そうか、生きとし生きるもの、皆お仲間じゃ。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と、手を合わして下さいました。
そして、その後、昼頃に近くの山に行き、その山の麓に穴を掘り埋葬し、家族ともう一匹の愛犬ケンとで最後のお別れをしました。

住職の口癖  親の夢 次々消して 子は育ち (誰かの川柳)


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