一枚の白いハンカチ | 本光寺住職のダラブログ

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これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」

一枚の白いハンカチ


住職は24時間勤務です。私は寺に居ることが仕事であり、それが日常生活だと思っています。ですから、私は外泊をすることが滅多にありません。毎日宿直をしているようなものです。殊にこの寺は深夜から早朝にかけてよく電話が掛かります。昨年は53本の電話がありましたが、それらは大概ご門徒の訃報なので、まず取り敢えず、電話で葬儀の日取りを決めて、枕勤めにその自宅に出向きます。そして、その家に着くと、ご家族にお悔みを述べてお内仏を整えてお経を一巻上げます。


誰もが身内に不幸が起きると、呆然として身が抜け殻のようになって、無意識に何でも誰彼なしに言われるままに従っていることが数々あります。例えば、よく見る風景に神棚や長押(なげし)の上に掛けてある故人の写真や棚の上に置いてある人形までにも白い半紙で覆うてあります。それを誰も不自然な事だと疑問視もせず、それが滑稽なことだとも感じていません。それと同様、あたかも亡骸がここにあることを示すかのように遺体までに一枚の白いハンカチで顔を覆うています。身内であっても死に顔は気味悪いのか恐いのでしょうか、恐る恐るそのハンカチをつまんで覗いてもハンカチを取り払う者はいません。私はそのような光景を見る度に、「お悔みに来る人はこのような安らかな、穏やかなお顔を見たさに来るのだから、余程お顔に傷があるとか、人に見せられない特別の事情があるのならとも角、このハンカチは取られては」と勧めています。すると、必ず「さっき、葬儀社の人がそうしていったので」と弁解が返ってくるのです。


本光寺住職のダラブログ イラスト・遊墨民KAZU

ところで、仰向けに寝かされた遺体は、大抵、両手を胸のあたりで組み、手首を紐で結び、そして、その組んだ両手に故人が日頃愛用していた数珠を掛けた姿にします。枕勤めは、もとは臨終勤めとも云われていて、臨終前に看取る家族と共にお念仏を称えながら互いにお礼を交わす場であったと思います。今日ではその名残として手首に数珠を掛けて、手を合わした故人が、声なき声で「最後まで皆には世話をかけたな、ありがとう」と言ってるかのように見えるその姿に、看取る人たちが反応して「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました。長い間お疲れ様でした」と促されたならば、その姿に亡き人の声を感じ取ったことになるのでしょう。これは仏教国たる実に日本的なよい風習だと思います。

そういえば、確か北朝鮮の金正日総書記の遺体は手を組んではいませんでしたな。周りの人達は見るだけで、手を合わせる人は一人も見かけませんでしたしね。



住職の口癖  あなたとこれまで暮らせてよかった、と最後は言われたい(寝言)



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